春ですね。
桜の花はもう散り始めています。
色とりどりのチューリップも満開です。
先週は吉田公園のチューリップ祭りに行き様々な品種のチューリップが見事に咲く中で南米の音楽を聴きながら心身ともにリフレッシュしました。
赤ちゃん連れのファミリーも多くいました。
我が家は愛犬ミルクを連れての久しぶりの散歩。
自然の流れに身をゆだねている心地よさを感じながらついつい追いたてられるように暮らしている日常を反省・・・
子育ての時期はつかの間で早くしなさい、何やってるの、遅れるでしょう、と朝から子供を追い立てて学校に行かせ、帰ってきてからも宿題やら何やら気付いたら子供は独立し、大切にしていたはずの子育ての日々は
あっという間に終わっている・・・
 
その時々は一生懸命生きていたはずで、良かれと思う選択をし、さて、思い通りに子供が育っているかといえば、いつまで経っても心配の種は尽きず・・・そんな風に私自身も育ってきたのでしょう。
 
子育ての結果は、自分が育てた子供が、どういう子育てをしているか、つまり孫の世代まで見ないと、子育ての結果は見えないのかもしれません。
いま、聞き分けが良くて、親の思い通りの理想的な子供に育っていてもあるいは親を散々に悩ませる子供であったにしても育っていく子供たちが自分の幸せを自分で掴み取り、人生を構築し、人として気持ちよく生きていこうと、あるいは、良い人生でありたいと願って生きていこうとしているか、
人生の岐路でよりよい選択ができ、結果をきちんと受け止めていけるか、
挫折しても前を向いて歩いていけるか、涙を人生の糧にできるか・・・
どんなに勉強がやスポーツなどが出来、能力的に優れていても生きていく知恵や力がなかったら、一人では生きていけず親離れ、子離れができない。
結果的に、人としてどうあるべきかを、きちんと考えていくことのできる人間に育てることが大切で、いつか子供は親を乗り越えて、大きく羽ばたいていって欲しいと親は願いつつ育てないと、いつまでも親の羽の中でぬくぬくと一人立ちできずにいてしまう。
いつか子供を自分の腕の中から大空に羽ばたかせるためには羽ばたく力がつくまでは、じっくり抱きしめて暖めて優しくそのときまで一緒にいて愛情を感じさせてあげなければ子供は成人しても怖くて羽ばたけない。
子供が安心して親元を巣立つためには自分を支え、見守ってくれる存在が必要だから。
だから、今、
日常に振り回されないで、たまには季節の移ろいに身をゆだねて、命のながれを感じながら過ごすときがあるといいね。
子供と一緒に遊べるときは、ほんとに少しの間だけだから。